訃報

SNSの発達のおかげで、旧友とリンクできていれば実際に会っていなくてもずっと会っていたような気になってくる。久しぶりに会っても、その分「久しぶり〜!」という感激が薄れてしまうとも言える。

そんなSNSでの繋がりがなかった知人の訃報を聞いた。遠い学生時代、高校からの友人とたまたま同じところに下宿していた他学部の学生。何度か一緒に酒を飲んだ。関西弁フルスロットル。楽しい時間を過ごした。連絡で意識はその時間に一気に戻った。あまりの懐かしさに万感の思い。そして容赦なく過ぎ去った時間の長さを突きつけられた。

「ちまちましたこと、気にすんなぁ」

「楽しゅうやろう」

「まあ、ゆっくり、今日を楽しみや」

「先、行ってるから、ぼちぼち来いや〜。また呑もな」

ぶつぶつ不満などに心を奪われている暇はない。今したいこと、今できることに思いを向け、どんなことでも楽しみ、味わい、生きていきましょう。そう、また、会おうな。

それにしてもネットで繋がっていることが、時の流れに対する感じ方も変化させているのですね。人がテクノロジーを進化させ、いずれテクノロジーが人を変化させる。人の命と物質との境界が徐々に取り払われ、意識というものが不滅になる可能性とも繋がっていくということなのでしょうか。将来には、人とロボットの境界がなくなるという話を聞いた時、そんなことないだろうと思った。しかし、訃報を聞いた時は、その考えをリアルに感じた瞬間でもあった。

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